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心肺蘇生法はスポ−ツマンシップ

 


  心肺蘇生法はスポ−ツマンシップ

1.スポーツマンシップとは「フェアプレー精神」

 近代オリンピックの創始者であるフランスのクーベルタン男爵は、当時のフランスの学校教育が知識学習に偏りすぎていたため、イギリスの「フェアプレー精神」を手本に、スポーツを通して青少年の健全な体と心の資質を育成しようと考えたのである。このスポーツによる青少年教育の実現が、1896年の第一回アテネ大会につながったのである。クーベルタン男爵がもう1つの手本としたのが古代ギリシャで4年に一度行われていた「オリンピアの祭典」であった。皮肉にも古代オリンピックは国を代表するプロ選手の戦いであり、選手はオリンピアで優勝すれば莫大な賞金と地位と名誉を手に入れることが出来た。現在でも同じ状況がみられ、国家政策としてオリンピック選手を養成し、メダル獲得者には報奨金や特権を与える国が多く、過去には旧東ドイツのように薬物による筋肉強化、ドーピングなどによりメダル獲得選手を製造し、選手の命を犠牲にしてまでもメダル獲得のトップを走っていた歴史もあった。オリンピック憲章9条には「オリンピックは個人、チーム間の競技であって、国家間の競技ではない」と定められているが、現在の状況はまさに有名無実である。

 フェアプレー精神を持った世界に誇るスポーツ選手の一人に、日本のテニスプレーヤーの清水善造選手がいる。ウインブルドン全英選手権の個人戦の決勝で当時、世界ナンバーワンであったアメリカのチルデン選手と互角で戦い、フルセットのマッチポイントで、あと1ポイントで優勝である場面で、チルデン選手が返球の際に転倒し、誰もが「清水選手の優勝だ」と思った時に、何と清水選手は緩やかなボールを返したのである。再度、 接戦の末、チルデン選手が優勝したが、「敗れても敗者ではない」選手としてスポーツ史上のフェアプレー伝説となった。

 「フェアプレー精神」とは、対等の立場で勝負することであり、極限の状態においても相手の状況を正確に捉え判断できる冷静沈着な精神が求められる。確かにスポーツは人間の闘争本能の戦いであるが、命を失ってまでも行うスポーツは存在しない。イギリスで生まれたサッカー、ラクビー、ボクシングには選手の安全を守るルールがある。オリンピックの花と言われるマラソンは、紀元前490年にアテネ軍がペルシャ軍をマラトン(英語読みではマラソン)の野で破った史実をもとに第一回アテネ大会で始められたのである。マラトンからアテネまで勝利を知らせるために走った男は、「喜べ、勝った」と叫んで死んだとことはあまり知られていない。

2.心肺蘇生法は命の危機管理教育

 私がアメリカ留学中の1986年1月22日に松江で行われたダイエー対日立のバレーボールの試合中,控えのベンチに座っていたフロー・ハイマン選手が突然倒れたにもかかわらず,タイムになることなく試合は続けられ,担架で運び出される光景がテレビニュースで映し出された(図1).「目の前で人が倒れたなら,意識の確認を行い,意識がなければ救急車を呼びなさい」と1970年代からすでに中学生の保健体育の授業で教えているアメリカの医療関係者から,「なぜ,日本人は心肺蘇生法をしないのか」と批判を受け,日本人の「命の危機意識」のなさを痛感した.日本では一般市民の心肺蘇生法が普及していない。私が兵庫県下で心肺蘇生法の普及を行うきっかけとなったスポーツ事故である。それ以後、15年間で1,000回以上の心肺蘇生法の実技講習会を行っている。普及活動を通して、日本では他人との関わりを避け、生命は自ら救うものでなく救急車を呼べばよいという考え、誰もが心肺蘇生法を知らないという安心感、人の生命の危険を感じない、大声で助けを求める勇気がないといった日本人の人間性と命の危機意識の欠如が大きな普及を妨げていると考えている。

 1998年ワールドカップのアジア予選で、日本の出場権をかけた日本対イラン戦は、日本人が熱狂した試合であった。この試合の中で、村田選手が倒れている姿を見た日本選手がとっさにサイドラインに意図的にけり出すシーンがあった。一点を争う試合展開の中で、相手方イラン選手のフリースローもまた、味方選手側でなく、やはり意図的に日本側バックライン方向に投げ、ゴールキーパの川口選手のボールとなった。緊迫した試合の中でも、瞬時に状況判断できた選手がいる日本サッカーは正真正銘の国際レベルに達しており、同時に平然と当たり前のように行われたプレーの中に彼らの「選手の安全(命)が勝負より勝る」というスポーツマンシップを感じとった。

 1999年6月15日にヒューストンのアストロドームで行われたアストロズ対パドレスの野球試合において、8回表にアストロズのダーカー監督が心筋梗塞で突然倒れ、救急車が試合会場に入り救命処置がなされた。この日の試合は8回で中断し、23日に8回から試合が再開されることになったが、何万人もの観客が納得して帰っていくことにも驚きを覚えた。この中で、主砲のバグウェル選手が発言した「われわれはプレーするためにここにいるが、ベースボールよりも大事なことがある」は、アメリカ人の国民性を示すすばらしい言葉であった。

 心肺蘇生法は、相手の危機を察知した時、間髪を入れずに救いの手を差し伸べる反射的な行為であり、そこには利害や勝敗を超えたお互いの「命の尊厳」を守る社会理念が存在するのである。清水選手が何故、あの1球を打ち込めなかったかは、以前からチルデン選手との交友関係があったためと思っていたが、チルデン選手が倒れた瞬間に「大丈夫か」と思った反射的行為であったのではないかと思う。フェアプレー精神は心肺蘇生の心である。

3.救急医療の意識革命:健康スポーツ医の危機管理対応のあり方

 2000年度からは旧厚生省の「健康日本21」や旧文部省の「地域総合型スポーツクラブ」がスタートし、生活習慣病の一次予防に幼少期からの生涯健康スポーツの重要性が推奨されている。2001年度からは厚生労働省では、上半身肥満、高脂血症、糖代謝異常、高血圧のいわゆる"死の四重奏"適合者に労災保険による2次健診給付が認められた。こうした背景の中、今後、生活習慣病の内、高血圧、高脂血症、糖尿病に関して日本医師会健康スポーツ医の運動処方箋による積極的な医学的指導が求められている。

 最近、学校スポーツ時の死亡事故、県内のマラソン・ロードレース時の死亡事故が散見され、スポーツ管理者の危機管理責任が問われている。2002年6月に開催されるワールドサッカー神戸大会では、国際的な危機管理体制が求められている。また、2007年には兵庫国体が開催もされ、今後、産業医と同様に命の危機管理面における健康スポーツ医のかかわり方が大きな課題である。

 兵庫県医師会健康スポーツ医学委員会では、日本では医師のみが使用できるパブリック・アクセス半自動除細動器(AED)を健康スポーツ時の危機管理の基本体制に据え、医師を中心としたスポーツ時の心臓突然死に対する新たな救命救急体制を提案している。 

 各種スポーツイベントにおける競技参加者の命の危機管理体制を考えた時、8割以上が心室細動による心臓突然死であり、早期除細動を現場で行うことができれば救命が可能な疾患である。現在の状況では、健康スポーツ医、医師でなければ出来ないものが救急現場におけるパブリック・アクセスAEDによる早期除細動である。

 目の前で倒れた人の意識がなければ、すぐさまAEDのパッチ電極を貼り付け、心電図解析ボタンを押し、AEDからの除細動ボタンの音声指示がでれば押すだけの簡単な操作である。極端な言い方をすれば、救命可能な心室細動のみにAEDは反応し、反応がなければその以外の原因によるものと鑑別診断ができる。ただ、現在の日本の医師法では医師のみ(救急救命士は医師の指示が必要)がAEDの除細動ボタンを押すことができることから、今後の心臓突然死の救命率向上には医師のAEDの使用拡大が当面の対策となる。スポーツイベントに出務する健康スポーツ医は常に小型軽量のAEDを携帯し、心室細動による心臓突然死に対応する危機管理意識をもつことが大切である。

4.終わりに

 今後、人が集まるあらゆる場所にAEDが配備される可能性がある。心臓突然死患者に対して意識がなければ、CPRを行わずに即座に除細動を行う新しい救命法が行われる可能性も考えられる。

 現在の日本の現状では、医師の指示のもとで救急救命士がAEDにより除細動を行うことになっているが、当面の打開策として日本において医師のみが使用できるパブリック・アクセスAEDの活用が新しい救急医療の意識改革につながるものと思う。

 

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